人を呼ぶ建築で、街がどんどん進化する
神田の魅力を発信する多目的ダイニング

神田の魅力発信地をつくるプロジェクトに、建築デザインのスペシャリストとして参加した建築家の水間寿明さん。関係者とともに思いを具現化していくプロセスから、設計のスキルやセンスだけにとどまらない、水間さんの仕事の魅力を探ってみた。

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神田に根差したオーナーの思いに応え、
「建築ができること」を考える

2023年6月、東京・千代田区の神田錦町に誕生した『廣瀬與兵衛商店』は、Mon architectsの水間寿明さんが設計を担当した多目的なカフェダイニング兼ワークスペースだ。

オーナーの廣瀬さんと水間さんの出会いは、以前、仕事をご依頼くださったクライアントを通してだった。そこでは建築デザインの知見を生かして多彩なアイデアを提案し、ふんわりした企画を見事に具現化した水間さんの仕事ぶりが話題に。初対面だった廣瀬さんも興味を抱かれたようで、「父が経営する会社が所有している神田のビル1階を改修して、神田を盛り上げる場所をつくりたいと思っているんです」と、構想中の企画をご相談くださったという。

廣瀬さんは明治13年に神田錦町で開業し、東京で五指に入る薪炭問屋として名を馳せた『廣瀬與兵衛商店』の創業一家の5代目。戦後になって『廣瀬與兵衛商店』は改組し、4代目に当たるお父さまは現在、神田錦町で不動産管理会社やエネルギー事業の会社を経営。3代目であるご祖父さまは神田明神の名誉総代、お父さまは総代を務め、地域の方々からの人望が非常に厚いご一家だ。

そんな廣瀬さんご一家からの相談を、「ぜひやらせていただきたいと思い、すごく楽しみでした」と振り返る水間さん。早速、スタッフや学生とともに神田に赴き、歴史、文化のリサーチから街としての現状分析までを行って、街の個性と廣瀬さんの思いをかけ合わせたプランを練り上げた。

その結果、提案を受けた廣瀬さんご一家は「こんな風に神田を盛り上げていきたいね!」と賛同してくださり、水間さんへのオファーが正式決定。こうしてスタートしたプロジェクトでは何を目指し、今、そこではどんなことが起きているのだろうか? 完成した『廣瀬與兵衛商店』の魅力とともにご紹介していきたい。
  • 立地は神田錦町河岸の交差点角地。竹橋方面からアプローチすると神田エリアの入口にあたる好ロケーションだ

    立地は神田錦町河岸の交差点角地。竹橋方面からアプローチすると神田エリアの入口にあたる好ロケーションだ

  • 改修後は、古き良き「江戸」を想起させる大きなのれんがお出迎え。店名から「よ」の一字を取ってデザインしたロゴマークは、水間さんがデザイナーと組んで提案したもの。紐を結んだような形には「人と人をつなぐ」などの意味が込められている

    改修後は、古き良き「江戸」を想起させる大きなのれんがお出迎え。店名から「よ」の一字を取ってデザインしたロゴマークは、水間さんがデザイナーと組んで提案したもの。紐を結んだような形には「人と人をつなぐ」などの意味が込められている

神田の魅力を引き継ぎ、膨らませていく
新空間の2つの特徴

『廣瀬與兵衛商店』の立地は、神田錦町河岸の交差点角地のビル1階。竹橋・大手町方面から見ると神田エリアの入口ともいえるこの場所で、家業のルーツである『廣瀬與兵衛商店』の名を復活させ、カフェダイニング兼ワークスペースとして誕生した。といっても広い店内はイベントや物販も可能で、神田の魅力を発信する小さな文化複合施設のようなイメージで計画されている。

水間さんがプランニングした改修後の新空間の特徴は、大きく分けて2つある。

1つは、「街と一体化するオープンな造り」だ。改修前は建物内部が見えない造りのオフィスビルだったが、「気軽に入店していただきたいですし、神田周辺のみなさんとのコラボも念頭に置いた空間なので、街とつながるオープンな造りにこだわりました」と水間さん。道路側は外から店内を見通せる大胆なガラス張りとし、「ようこそ」と迎え入れるようなおおらかさを表現。ビル内のテナントオフィスに向かう動線との仕切りもなくし、このビルで働く方々に対してもオープンな環境をつくっている。

もちろん、屋外の爽快感を味わえる開放的な空間は居心地も抜群。黒、モルタル、天然木を組み合わせた内装もモダンで洗練されており、空間の心地よさに惹かれてカフェダイニングを利用するお客さまも多い。

新空間のもう1つの特徴は、「神田の魅力を引き継ぐデザイン」だ。神田のカルチャーや、『廣瀬與兵衛商店』がこのスポットを手がける意味をギュッと凝縮したようなデザインや仕掛けが、店内の随所にちりばめられているのだ。

例えば、店内の空間デザインの核となっている、炭をおこすための立派な炉。この炉は140余年前に薪炭店から始まって、現在も高級飲食店に上質な炭を卸している廣瀬家の家業や歴史の象徴であり、廣瀬さんがこのスポットを手がける意味を強力に物語るオブジェでもある。同時に実用面でも活躍し、お客さま自身がここで料理を炙って仕上げるサービスなども展開。ちなみに、内装のベースカラーであるモダンな黒も炭をイメージしたものだ。

店前の大きなのれんも思いを形にしたアイテムの1つで、描かれたロゴマークは水間さんがデザイナーさんと組んで提案。ひらがなの「よ」は店名と掛けているが、紐を結んだようなデザインに、人と人、あるいは人と街、あるいは街の過去と未来をつなぐという意味も込めている。

また、店内の一角には何かを書き加えたり、貼ったりできる大きなマグネットボードの神田マップを設置するなど、交流を促す仕掛けも施している。神田の企業、老舗の飲食店や本屋街など、神田カルチャーをけん引する事業者とのタイアップも想定しているため、店内は飲食にも物販にも使えるフレキシブルな空間として設計。神田らしさと『廣瀬與兵衛商店』のカラーを反映させつつ、空間用途の自由度をしっかり確保している点も注目だ。
  • 改修で、3方向がガラス張りのオープンな空間に一新。外に広がる神田の街と一体化するような感覚を味わえる

    改修で、3方向がガラス張りのオープンな空間に一新。外に広がる神田の街と一体化するような感覚を味わえる

  • 正面から入ってまず目に入るのが、大きな炭の炉。この地で薪炭店として創業した廣瀬家にふさわしい、空間デザインの要だ。カフェダイニングにはお客さまがこの炉で料理を炙って仕上げるメニューもあり、人気を博している

    正面から入ってまず目に入るのが、大きな炭の炉。この地で薪炭店として創業した廣瀬家にふさわしい、空間デザインの要だ。カフェダイニングにはお客さまがこの炉で料理を炙って仕上げるメニューもあり、人気を博している

  • モダンな店内。シックな黒は、廣瀬家の家業が薪炭店から始まったことにちなんでいる。モルタルや天然木をバランス良く組み合わせた洗練された空間は、屋外とシームレスにつながり抜群の開放感

    モダンな店内。シックな黒は、廣瀬家の家業が薪炭店から始まったことにちなんでいる。モルタルや天然木をバランス良く組み合わせた洗練された空間は、屋外とシームレスにつながり抜群の開放感

  • ライティングレールやアッパーライトなど、雰囲気の良い照明が灯る夜の内観。木の温もりも感じられ、ホッと心が安らぐ。「空間が素敵」「居心地がいい」と、空間に惹かれて訪れるお客さまも多い

    ライティングレールやアッパーライトなど、雰囲気の良い照明が灯る夜の内観。木の温もりも感じられ、ホッと心が安らぐ。「空間が素敵」「居心地がいい」と、空間に惹かれて訪れるお客さまも多い

  • 道路に面した大きな連続窓は南向き。東側は駐車場だったが改修でウッドデッキテラスが誕生。爽やかな光や風をダイレクトに感じながら食事やお茶を楽しめる

    道路に面した大きな連続窓は南向き。東側は駐車場だったが改修でウッドデッキテラスが誕生。爽やかな光や風をダイレクトに感じながら食事やお茶を楽しめる

洗練された空間が口コミでも大好評
「場所」が絡む企画で引く手あまたの建築家

『廣瀬與兵衛商店』はたちまち人気店となり、ネットの口コミでは料理のおいしさに加え、空間のセンスの良さ、居心地の良さを絶賛する声が多数。地域の人たちとのコミュニケーションも深まっているようで、大きな神田マップには近隣のお店のショップカードがたくさん貼られ、すっかり賑やかに。神田に本社を置き、イベント運営などを手がける有名企業からのコンタクトもあるという。

好発進を遂げているプロジェクトを振り返り、「神田をもっと盛り上げたいという廣瀬さまの思いに刺激を受け、関係者全員が同じ思いで取り組めたことにとても感謝しています」と水間さん。聞けば、きっかけは5代目の廣瀬さんのお声がけだったが、そこからすぐに廣瀬さんご一家とのプロジェクトに広がり、マネージャーやシェフが決まってからは、彼らも打ち合わせに参加したのだそう。プロジェクトが進むにつれてどんどんメンバーが増えていき、全員が「神田の魅力発信」を自分ゴトとして捉え、真剣に取り組む──。仲間を巻き込んで夢を膨らませていくプロセスは、誰もがワクワクする冒険物語のようでもあり、今後の『廣瀬與兵衛商店』への期待もいっそう膨らむ。

それにしても、建築を絡めた「何か」を企画するときの水間さんの柔軟性や、フットワークの軽さにはあらためて驚かされる。

コンセプトなどの初期段階から加わって建築へと昇華させ、建築以外のクリエイティブも、人脈を駆使して一気通貫で担ってくれて──。あたかも、建築という武器を持ってカウンターパートに立つ企画屋さんのようで、クライアントに頼られるのも納得。そして最も印象に残るのは、「場所」からムーブメントを起こす仕事を、水間さん自身が心から楽しんでいることだ。そんな水間さんのスタンスこそが、多くのクライアントを惹きつける最大の理由なのだろう。
  • 広々としたオープンキッチンは、黒い壁やモルタルの床に合わせてモールテックスを使用。モルタルを使ったベルギー製の左官材料で、意匠性に優れ、防水性も高い。このキッチンの脇には、のれんで仕切った個室も用意されている

    広々としたオープンキッチンは、黒い壁やモルタルの床に合わせてモールテックスを使用。モルタルを使ったベルギー製の左官材料で、意匠性に優れ、防水性も高い。このキッチンの脇には、のれんで仕切った個室も用意されている

  • 神田マップ前のスペースは、必要に応じて棚を設け、神田のお店のポップアップショップなどで物販もできるように計画。神田の魅力発信地として、空間をフレキシブルに使えるように設計している

    神田マップ前のスペースは、必要に応じて棚を設け、神田のお店のポップアップショップなどで物販もできるように計画。神田の魅力発信地として、空間をフレキシブルに使えるように設計している

  • 竣工した2023年5月には、コロナ禍を経て4年ぶりに神田祭が開催された。廣瀬家は3代目が名誉総代、4代目が総代を務めていることから、神さまにお供え物を献ずる「献饌の儀」は『廣瀬與兵衛商店』の前で実施。地域の方々が大勢集まり、賑わった

    竣工した2023年5月には、コロナ禍を経て4年ぶりに神田祭が開催された。廣瀬家は3代目が名誉総代、4代目が総代を務めていることから、神さまにお供え物を献ずる「献饌の儀」は『廣瀬與兵衛商店』の前で実施。地域の方々が大勢集まり、賑わった

撮影:髙橋菜生(Nao Takahashi)

基本データ

作品名
廣瀬與兵衛商店
所在地
東京都千代田区
敷地面積
961.789㎡
延床面積
273.013㎡