レイヤーの壁で生まれるモダンな表情。
自然が暮らしに寄り添う、多摩川沿いの家

独創的で住み心地のよい住宅設計で知られる建築家の伊藤寛さん。S邸ではプライバシーを守るための工夫をきっかけに、屋外の心地よさをふんだんに取り入れた住空間や洗練された外観デザインも実現。平屋住宅の至るところに自然を取り込むテクニックも必見だ。

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地球を感じる多摩川沿いの風景に、
しっくり馴染む平屋の家

S邸は、東京の西部から羽田沖まで流れる多摩川沿いの土地に立つ。ここはもともとSさまのお母さまが住んでいた場所で、広さは約120坪。敷地を2mほど上がったところには堤防道路があり、越えればすぐに多摩川だ。

建設会社で監督を務めるSさまは、伊藤寛アトリエの伊藤寛さんと何度も仕事をしてきた方。それだけに伊藤さんが手がける住まいの性能・暮らしやすさ・豊かさを熟知していたのだろう。自邸建築でも迷うことなく伊藤さんに設計を依頼した。

いわばプロ同士がタッグを組んだ家づくり。Sさまは計画当初、ご自分が考えた間取りのスケッチも見せてくださったという。そのスケッチは2階建ての家だったが、伊藤さんは、「僕はこの敷地に2階建ての家を建てることがイメージできず、平屋をご提案したのです」と話す。

S邸のように広い敷地の家づくりでは、贅沢な空間使いの平屋を勧める建築家が少なくない。しかし伊藤さんが平屋を勧めた理由は、敷地が広いからだけではなかった。

「周囲の環境が、本当におおらかなんです」と伊藤さん。「住宅街を抜けて敷地にたどり着くと、景色が一変する。やっぱり多摩川は広いんですよ。どこまでも続く空の下を悠々と流れる大きな川、快い水音やきらめく水面。遠くには富士山も見え、地球を感じるほどのスケール感があります。その風景の中に家を建てるなら、地面と一体感のある平屋が似合うし、暮らしも豊かになると感じました」

伊藤さんの提案に、Sさまもすぐに賛同。かくして完成したS邸はシンプルな四角形の平屋だ。だが、シンプルなのに、一見すると住宅とは思えない独特の存在感がある。建築アワードで数多の受賞歴をもち、大学で教鞭を執り後進を育てている伊藤さんならではの、本物の上質感と独創性がにじみ出ているのである。
  • 多摩川沿いの堤防道路から2mほど下がった敷地に立つS邸。どっしりと地面に根付く平屋づくりの外観が、おおらかな自然風景に馴染んでいる。シンプルなアウトラインとレイヤー状の壁がモダンな建築美を生み、人目を引く

    多摩川沿いの堤防道路から2mほど下がった敷地に立つS邸。どっしりと地面に根付く平屋づくりの外観が、おおらかな自然風景に馴染んでいる。シンプルなアウトラインとレイヤー状の壁がモダンな建築美を生み、人目を引く

  • 堤防側の外観。S邸は天然木材で仕上げた住空間を、外周部に並ぶモルタル仕上げの構造壁で囲った「入れ子の構成」。外周部の構造壁の間はガラスがはめられていないので、住空間の壁とのレイヤーが凹凸の陰影を生み出す。夜は照明によって陰影がいっそう際立ち、美しい佇まいに

    堤防側の外観。S邸は天然木材で仕上げた住空間を、外周部に並ぶモルタル仕上げの構造壁で囲った「入れ子の構成」。外周部の構造壁の間はガラスがはめられていないので、住空間の壁とのレイヤーが凹凸の陰影を生み出す。夜は照明によって陰影がいっそう際立ち、美しい佇まいに

  • 「多忙で手入れが行き届かないので植物は少なくしたい」というリクエストに応え、堤防側に広がる庭はモルタル仕上げに。植栽も最小限にとどめた。広々した外部空間はお子さまが遊んだり、ご主人が仕事の車を一時停車したりと、フレキシブルに使えて便利

    「多忙で手入れが行き届かないので植物は少なくしたい」というリクエストに応え、堤防側に広がる庭はモルタル仕上げに。植栽も最小限にとどめた。広々した外部空間はお子さまが遊んだり、ご主人が仕事の車を一時停車したりと、フレキシブルに使えて便利

プライバシー、外とのつながり、デザイン。
3役をこなす「入れ子の構成」

シンプルな四角形なのに独特の存在感があるのは、ちょっと変わった外観デザインによるところが大きい。

S邸は家の外周部にモルタル仕上げの構造壁が複数立ち、その内側に木板壁の住空間がある「入れ子の構成」。モルタル面の強固な殻が、サワラ、スギなどの天然木材とガラス窓で覆われた柔らかな住空間を囲んでいる。

「敷地の南は、視界がひらけた多摩川の堤防道路。南を大きく開口したいところですが、道路から邸内が見えるのは避けたい。そこで、敷地の奥に住空間を配して視線を遮ろうと考えました」と伊藤さん。

それなら単に、敷地の奥に建物をつくればいいだけのようにも思う。しかし伊藤さんは住空間のセットバックだけで終わらせず、外周部に構造壁を立てている。目的は、「家の中で内と外が入り混じる豊かさ」の創出だ。

外周部の構造壁はS邸全体を支える役割を担っており、1つの屋根で住空間とつながっている。そして外周の構造壁と住空間の中間領域は土間仕上げ。1つ屋根の下に、住空間と広々した土間スペースが共存しているのだ。

1つ屋根の下にあることで土間スペースは立派な住空間の一部になり、光や風といった屋外の要素が生活の中にしっかりと入り込む。

加えて、構造壁部分はガラスがはめこまれていないため、住空間の壁とレイヤー状になると外観に奥行き、凹凸が生まれ、陰影をつくり出す。

陰影はシンプルな四角形のファサードに奥深い表情を与え、印象的な建築美となって見る人を惹きつける。その証拠に、地元のジョギング・散歩コースである堤防道路を行き交う人は、必ずといっていいほど立ち止まったり振り返ったりしてS邸に目を留める。

特に、明かりが灯った夕刻のS邸は、洒落たレストランか美術館かと思うほど美しい。プライバシーという機能確保をきっかけに、これだけ豊かなデザインを生み出す伊藤さんの柔軟なセンスと力量をあらためて実感する住宅だ。
  • 玄関ポーチのさらに手前には、車2台をとめられる広い駐車スペースがある。住空間の屋根がそのまま張り出した軒下にあり、雨の日も濡れることなく車から邸内へ移動できる

    玄関ポーチのさらに手前には、車2台をとめられる広い駐車スペースがある。住空間の屋根がそのまま張り出した軒下にあり、雨の日も濡れることなく車から邸内へ移動できる

  • 玄関から邸内を見る。建物の東側に位置する玄関まわりも、外周部の構造壁と住空間をつなぐ屋根の下。奥の玄関扉を開くと邸内。写真右側は邸内に光をもたらす光庭。光庭はセキュリティに配慮して手前に引き戸を設置。夜は引き戸を閉め、安心して過ごせる

    玄関から邸内を見る。建物の東側に位置する玄関まわりも、外周部の構造壁と住空間をつなぐ屋根の下。奥の玄関扉を開くと邸内。写真右側は邸内に光をもたらす光庭。光庭はセキュリティに配慮して手前に引き戸を設置。夜は引き戸を閉め、安心して過ごせる

  • 「光庭」と名付けられた中庭。左側は玄関と玄関ポーチ。正面と右側はダイニング、フリースペースなどの住空間に大きく面している

    「光庭」と名付けられた中庭。左側は玄関と玄関ポーチ。正面と右側はダイニング、フリースペースなどの住空間に大きく面している

  • 玄関土間から邸内に入ると半戸外の土間スペースが奥まで続き、家の中に入ったのにまだ外にいるような不思議な感覚になる。モルタルの腰高壁のように見えるものはペチカ。中に配管が仕込まれており、横付けした暖炉の排気による暖気をめぐらせることで室内がほどよく暖まる

    玄関土間から邸内に入ると半戸外の土間スペースが奥まで続き、家の中に入ったのにまだ外にいるような不思議な感覚になる。モルタルの腰高壁のように見えるものはペチカ。中に配管が仕込まれており、横付けした暖炉の排気による暖気をめぐらせることで室内がほどよく暖まる

陽光や空を届ける「光庭」
心地よい自然とともに暮らす贅沢感

では、S邸の邸内にはどんな空間が広がっているのだろうか?

邸内は奥の北側に水まわりや寝室、収納などが並び、堤防を望む南側は広々したダイニングとフリースペース。驚くのは、南から北まで奥行きがあるのに、どの場所も明るくてのびやかで居心地がいいことだ。

その秘密は最大で4.6mもの高い天井と、「光庭」と名付けられた中庭にある。光庭を囲むダイニングとフリースペースは大きな掃き出し窓で光庭と接し、屋外の爽快感をダイレクトに感じることができる。

光庭への掃き出し窓の上部が、ガラス張りになっていることもポイントだ。光庭の上に広がる空まで見え、とても気持ちがいい。そして視線を南に向ければ軒下の土間と堤防の緑。上にも横にも視線が抜けて外とつながり、「家の中で内と外が入り混じる豊かさ」を体現している。

伊藤さんは「敷地は堤防道路より低く、邸内から多摩川が見えないので」と、堤防側の窓際の上部に、物見台として使えるキャットウォークやデッキも設けた。

奥の水まわりの一角にテラスはあるものの、奥さまは物見台に洗濯物を干すことが多いという。ゆるやかに流れる川と青空を眺めつつ、さっぱり洗った衣類を干す。朝は光庭から入るまばゆい朝日の中で朝食をとる。休日は柔らかな日差しに包まれる土間でお子さまが遊び、ご主人は日曜大工……。

内と外がそこかしこで入り混じるこの家では、何気ない日常にいつも屋外の自然が寄り添う。「贅沢ですね」というと、「家づくりでは、外も大事な場所ですから」と伊藤さん。

環境のポテンシャルを最大限に取り込み、暮らしの豊かさを多面的に見つめる。そうやって伊藤さんがつくり出す家は、デザイン性が高いのに冷たさはない。今も、ずっと先の未来も住まう人の温かな生活が目に浮かぶ、そんなやさしさに満ちている。
  • ダイニング。テーブル越しの腰高壁の奥がキッチン。天井高が最大4.6mもあるのびやかな住空間は南の堤防側が天井までの全面窓で、たっぷりと光が入る。空や堤防の緑を一望できるが、住空間は敷地の奥に配しているため堤防道路からの視線は通らず、プライバシーを確保している

    ダイニング。テーブル越しの腰高壁の奥がキッチン。天井高が最大4.6mもあるのびやかな住空間は南の堤防側が天井までの全面窓で、たっぷりと光が入る。空や堤防の緑を一望できるが、住空間は敷地の奥に配しているため堤防道路からの視線は通らず、プライバシーを確保している

  • 写真左側がフリースペース、右側がダイニング。中央の光庭に沿った横長のフリースペースは、光庭から入る陽光でとても明るい。邸内はサワラ、スギなど古くから愛される自然素材で仕上げられ、経年によって味わいが増す楽しみもある

    写真左側がフリースペース、右側がダイニング。中央の光庭に沿った横長のフリースペースは、光庭から入る陽光でとても明るい。邸内はサワラ、スギなど古くから愛される自然素材で仕上げられ、経年によって味わいが増す楽しみもある

  • 堤防側の窓際上部には、物見台としてキャットウォークとデッキをつくった。ここにのぼるときらめきながら流れる多摩川を一望でき、気分爽快。振り返って上から住空間を見るのも楽しい

    堤防側の窓際上部には、物見台としてキャットウォークとデッキをつくった。ここにのぼるときらめきながら流れる多摩川を一望でき、気分爽快。振り返って上から住空間を見るのも楽しい

間取り図

  • 平面図

  • 断面図

基本データ

作品名
多摩川沿いの家
所在地
東京都昭島市
家族構成
夫婦+子供2人
敷地面積
399.15㎡
延床面積
153.06㎡
予 算
2000万円台